糸魚川翡翠の成り立ち2

糸魚川翡翠は利用開始から7000年、再発見されてから80年近くたった今も野外で見ることができます。
また、ヒスイ峡は国の天然記念物として保護されており、未来の子供たちに残すことができる国石となっています。

さて、
翡翠の歴史の続き、
5500年前になると、糸魚川市の長者ヶ原遺跡などでさかんに翡翠のペンダント、ネックレスを作るようになり、なんと!
北海道から沖縄まで日本全域に流通していました。糸魚川翡翠ほど、当時、日本中に広まった石は他にありません。

日本には昔から祟り信仰があり、病気や悪いことがおきると、祟りだと信じられていました。

権威の象徴であり、祟りや災いから国や民を守るといわれていた翡翠は全国の豪族が挙って手に入れたがった宝石でした。

領土拡大などの、戦いに勝った国は、負けた国から降伏の証として、勾玉を引き継ぎ、首飾りに増やしていったと考えられています。

遺跡から出土する勾玉の首飾りはそんな物語が秘められているのかと思うとロマンをかんじます。